なぜ馬肉が桜肉と呼ばれるようになったのか?その理由を解説※諸説あり

フクシマ板長

牛肉や豚肉、鶏肉をはじめ、日本ではいろいろな種類のお肉が食べられています。馬肉もその中の1つ。馬肉はこれらのお肉に比べると、あまり身近ではない方も多くいるかと思います。
しかし、馬肉にはたくさんのファンがおり、その味はもちろん、栄養価も高く、低アレルギーかつ低カロリーなため、古くから愛される食材です。

ところで、馬肉には「桜肉」という別名があります。いかにも春らしい名前ですが、この由来をご存じでしょうか。

今回はこの馬肉がなぜ桜肉と呼ばれるようになったのか、その諸説ある理由をご紹介します。

馬肉のはじまり

馬肉を食べる文化は、豊臣秀吉の時代にさかのぼります。一説では、文禄・慶長の役で朝鮮半島に出兵した際、食料が底をついたため、軍馬を食用にしたことが始まりとされています。
帰国後、加藤清正らは熊本で馬刺しを広め、その文化が根付いていきました。今日、熊本は馬肉の生産量日本一を誇り、その歴史的背景が色濃く反映されています。

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「桜肉」の由来

それではさっそく馬肉が桜肉と呼ばれるようになった由来をご紹介します。

その1:馬肉は桜の季節がおいしい説

陽光桜の花

気温が下がる冬の季節には、動物は寒さから身を守るために脂肪を蓄えます。このため、多くの動物は冬に向けて食事を増やし、寒い時期を乗り切るために脂肪を蓄えるのです。

冬が終わり春が訪れると、動物たちはその蓄えた脂肪でふっくらとした状態になります。特に馬はこの時期、脂がよくのり、肉質が最も良くなると言われています。
春は新たな生命が芽吹く季節であり、日本では桜の花が象徴的に美しく咲き誇ります。この時期に最も美味しいとされる馬肉が、春の象徴である桜の名を冠して「桜肉」と呼ばれるようになったという説になります。

その2:馬肉の色が桜色説

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馬肉は一般的に赤色と認識されがちですが、実際には鮮度が高い場合や適切に調理された際には、その表面が繊細なピンク色を帯びます。
このピンク色は日本の春の象徴である桜の花びらを思わせる色合いです。この視覚的な共通点から、「桜肉」という名前が付けられるようになったとされています。

さらに、馬肉を刺身として盛り付ける際にはしばしば花の形に切り身を配置することがあります。このように盛り付けられた馬肉は、まるで桜の花が開花しているかのような美しさを演出します。
この盛り付けがさらに桜をイメージさせ、「桜肉」という名称になったという説になります。

その3:地名説

千葉県佐倉市

千葉県佐倉市 出典:佐倉市ってどんなとこ?

千葉県に位置する佐倉(さくら)は、今なおそのむかしの城下町としての面影を残している地域です。江戸時代には佐倉藩として十一万石の石高を誇り、その歴史的重要性から2016年には日本遺産に指定されました。
この佐倉地域は、かつて幕府直轄の牧場が存在し、「馬」と言えば「佐倉」とされるほど馬と深い関わりがありました。この地名が馬肉の呼称「桜肉」に影響を与えたという説があります。

その4:隠語説

日本では古くから様々な時代に肉食が一般的でしたが、歴史を通じて度々禁止されることがありました。最も初めの記録として、西暦675年に天武天皇が肉食禁止令を出し、牛、馬、鳥、豚、そして意外にも猿の肉食が禁じられました。これが日本における肉食禁止の始まりであり、特に猿が禁止リストに含まれるのは、その当時猿も食されていたことを示しています。

この禁止は時代が下るにつれて強化され、特に江戸時代には肉食の禁止が厳しく施行されました。しかし、人々の肉に対する食欲は尽きることがなく、当時の人々は幕府の規制を巧妙に逃れるために、肉の名前を隠語で呼ぶことでこれを回避していました。

具体的な例として、イノシシ肉は「牡丹(ボタン)」、鹿肉は「紅葉(モミジ)」と称され、馬肉はその美しい赤色から「桜(サクラ)」と呼ばれるようになりました。
このようにして、肉を食べることが社会的なタブーとされている中で、隠語を使って秘密裏に肉を楽しむ文化が根付いたのです。これらの隠語が後世に残り、特に馬肉はその色合いと美味しさから「桜肉」と広く呼ばれるようになりました。この隠語説は、日本の食文化における独特の逸話として非常に興味深いものです。

その5:坂本龍馬・高杉晋作発祥説

坂本龍馬と高杉晋作は、幕末の動乱期において重要な役割を果たした人物として知られています。坂本龍馬は土佐藩出身で、薩摩と長州の間を仲介し、明治維新へとつながる道を築いた中心的存在です。一方の高杉晋作は、革新的な奇兵隊を組織し、長州藩の力を強化したことで知られています。

この二人が関わる「坂本龍馬・高杉晋作発祥説」は、彼らが伊勢の民謡『咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が騒げば花が散る』を歌ったというエピソードに由来します。お酒の席でこの歌を楽しんでいたところ、歌詞の中の「駒」が「馬」に言い換えられ、さらにその場の雰囲気や歌詞の内容が重なり、馬肉を指す「桜肉」という言葉に繋がったとされています。

この説は、坂本龍馬と高杉晋作のような歴史的人物が日常生活の中で楽しんでいたひとときが、後世の食文化にも影響を与えたという点で興味深いものです。また、このエピソードは彼らの人間性や当時の文化的背景を垣間見ることができる逸話と言えるでしょう。

その6:高村光太郎の詩から説

高村光太郎は、1883年から1956年にかけて活動した著名な日本の詩人です。彼の作品は多くの人々に愛され、特に「道程」などは日本の教科書にも掲載されるほどの代表作とされています。

この「高村光太郎の詩から説」は、光太郎が自身の詩の中で馬肉を「サクラ」と表現したことに端を発します。具体的には、彼の詩「夏の夜の食欲」という作品で馬肉が「サクラ」として言及されており、その独特な表現が後に広く受け入れられ、馬肉を一般的に「桜肉」と呼ぶようになったとされています。

この説は、詩という文化的な側面から馬肉の呼称が変化した例として非常に興味深く、食文化だけでなく、文学が日常生活に与える影響の大きさを示しています。高村光太郎の詩的な言葉選びが、馬肉の美しいイメージを新たな形で定着させる一因となったわけです。

その7:食品偽造説

明治時代、日本では食文化が大きく変化し、西洋の料理法が取り入れられる中で、牛鍋が特に人気を博しました。この時期、牛肉の需要が高まった一方で、牛肉を手に入れることは困難であったり、価格が高騰していたりしたため、一部の露天商などが代替品として馬肉を用いるケースが見られました。

この文脈で、「さくら」という言葉が用いられるようになりました。本来、「さくら」は、商品を褒め称えるために店に雇われた偽の客、つまり「さくら=偽客」を指す隠語です。牛鍋に馬肉を使用している事実を隠して、それを牛肉であるかのように見せかけた行為が行われたため、馬肉そのものが「さくら」と呼ばれるようになったとされています。

まとめ

今回は、馬刺しが「桜肉」と呼ばれるようになった理由について、様々な興味深い説をご紹介しました。隠語から地名、詩や食品偽造まで、真実かもしれないし、単なる面白い話かもしれません。
これらの話を読んで、みなさんはどの説が最も説得力があると感じましたか?

真相は今も明らかではありませんが、お酒の席等で、こんな話題を友人たちと共有するのは、馬刺しをより一層楽しむための素晴らしい方法ではないでしょうか。

居酒屋での一皿では満足できない方は、ぜひ「馬たらし」で新鮮な馬刺しをお取り寄せいただき、家庭でもその味わいをたっぷりとお楽しみください。この美味しさと話の種に、きっとあなたも馬刺しの虜になることでしょう。

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